当会(「骨髄バンク・つなぐ」)メンバーのドナー&移植経験談を紹介します。
ドナー経験者(当時40代、女性)
21年前(2004年)、骨髄液を提供した。
通知が来たときは家族から反対された。「脊髄から採取される」と誤解していたためだが、病院で「脊髄ではなく、大きな骨の腸骨から『骨髄液』を採取するので心配いりませんよ。」と説明を受け、家族も納得してくれた。
提供までは健康に気を付けて過ごした。家族の協力の他、職場の人たちが快く協力してくれたのには大変ありがたかった。たとえば、ふだんちょっとした風邪なら仕事に出てくるものだが、私に感染させてはいけないと仕事を休んでくれた。職場環境を常に良好に保ってくれたことには、本当に感謝だった。
私が提供した相手は、関西の10歳の女の子だった。提供後、その子とお母さんからお手紙をいただき、『私の骨髄液が役に立った、女の子が生きている』と実感し、感動した。
「造血幹細胞提供」(注)は、生きている間に自分の意志で提供できるのである。
素晴らしいことだと思う。ちょっとした勇気とちょっとした時間で、人助けができることを、多くの人に知ってほしい。これからも登録会活動を続けていきたいと思っている。
(注)造血幹細胞提供は、骨髄移植、末梢血幹細胞移植、さい帯血移植の総称。
骨髄移植者(当時40代、男性)
2016年2月に高度の貧血症状があり、輸血により命を取り留め、「急性リンパ性白血病」と診断された。抗がん剤治療後には、ふつう1年かかるところを7か月で回復した。
その後、骨髄バンクより移植提供者(ドナー)に巡り合い、2016年11月末に骨髄移植、12月18日に生着確認。2017年2月上旬に退院。
ドナーは中部地方の男性と知らされていた。生着確認前に、提供のお礼を手紙に書き記した。成功するかどうかより、見ず知らずの自分のために提供してくれたことへの感謝を伝えたかった。ドナーからはお返事をいただき、職場復帰するときにも再度手紙を送り、お返事をいただいた。我が家では、そのドナーからの2通の手紙は神棚に祭り、その方を「骨髄様」とお呼びしている。そして、毎朝「骨髄様、あなた様のおかげで今日も生きております。神様、骨髄様のお命をどうぞお守りください」と手を合わせている。
治療費は、私の場合1年間で750万円かかった。入院中に同じ病棟にいた男性が「治療費を払えないから」と退院されていく後ろ姿をつらい気持ちで見送った。骨髄移植のチャンスがありながら、お金がないために治療を続けられない人がいるという現実。なんとか健康保険で安く治療ができるようになってもらいたい。また、提供の候補者が20人現れても、実際の提供には至らず、待機期間が延びて治療費を払い続けるのが難しくなり治療を断念する方もいる。自分の身内という立場だったらどうだろうか?どうか提供してほしいと願うばかりである。
今、私はドナー登録活動をしている。2019年11月より開始した。一人でも多くの人に骨髄移植を届けたい。治療費も安くなるようにと願い訴えていきたい。
家族の立場(当時10代、女性)
11年前、私が小学4年生の時、3歳上の姉が白血病になった。
母と姉はこども病院へ、父と私は祖父母の家で暮らすことになった。
姉は投薬で回復したものの、数か月後に再発。治療を続け2年目にさい帯血移植。回復するものの再再発。今度は骨髄バンクより提供を受け、2か月後に「成功」の連絡があった。私は中学2年生になっていた。
姉の闘病中、母に会えない寂しさに気持ちがどうしようもないときがあった。今思えば母や姉のつらさを幼い自分は受け止めきれなかったことに、この年齢(現在20歳)になって改めて思い知った。
しかし、3度目の治療後に「成功」となった日のことは忘れられない思い出である。姉を救った「骨髄バンク」のことを私なりに調べ、ドナー登録活動をすることになった。大学入学とともに活動を始め、今3年目。私が活動することで、同年代の人に関心を持ってもらい、登録できることを知ってほしいと願っている。